2003年より中川博志にバーンスリーを師事。
のち、インドに留学し、The Gundecha Brothersにドゥルパドを師事。
インド国内外で演奏活動を始める。
現在はネパールに修行の拠点を移し、同輩のVishal Bhattaraiとともに音楽学校を設立。
これまで、伝統音楽が届くことのなかった村の子供たちや、盲学校などで教えながらドゥルパドの音研究を進めている。
2016年には、学校は師匠よりインド音楽の分校に指定され、Dhrupad Gurukul Kathmanduと名付けられた。

現在はネパール、日本と国を越えて演奏会を行なっている。

小さい時から、どこかから聴こえてくる

きれいな音に心打たれ、

その音が生まれるには

何をしたらいいのかを考えて、数々の師匠に巡りあいながら

修行を積みながら

いまに至る。

目標は、いい音を出す!ことであって。
あまり、それ以外のことに興味はないかな。いい音を求めているうちに、人生は暮れてゆくし、

そうゆもんなのかな。

小学校に上がるくらいから、ピアノを恩地展子に神社音楽の太鼓と、横笛を牧野三郎に師事する。

高校生になったときに、いろんな音楽を同時に学ぶほど自分が器用でないことに気が付き、横笛を吹くだけにすることにした。

二十歳から、日本の横笛の起源は、はるかかなた西方にあることを知り、旅に出ることにした。

ユーラシア大陸にわたり見知らぬ国の小さな見知らぬ村にまで行き、横笛の名手を探しては聴き惚れたり、いっしょに手当たり次第に演奏しては興奮したりしていた。音楽大学などを訪れ、日本の音楽の歴史や特徴を自分なりに分析して、レクチャーや演奏活動をしたりもした。

その横笛を探す旅の道すがら、インドの古ぼけたレコード屋さんから聞こえてきた横笛の音にすっかり心を奪われ、人生が変わる。

その音はHariprasad Chaurasiaという横笛の巨匠の音源だった。

のちに、その音楽家の弟子がニッポンにいることを知り、2002年の冬にその人のコンサートを追いかけに行った。
翌年から、その方、中川博志先生に弟子入りし、5年間教わりました。

そして、その音楽の最も重要なパートであるAlapという部分、それはずっと何時間も即興演奏を繰り広げられるくらい
外の人間には摩訶不思議にみえるものなんだけど、実は厳密な文法とルールにのとったものであり、それがラーガという音階のシステムを構築している。

その起源は、ヴェーダという古代ヒンドゥー教の読経に始まり、それが音楽に発展していく過程があり。
それが声楽音楽に発展し、インド大陸の芸術音楽の基礎になってゆく。それをDhrupad(ドゥルパド)と呼ぶんだけど。

自分はそのDhrupadを学べば、音に迫る秘密がいろいろ分かるような気がして、2008年からインドに留学しThe Gundech Brothersという三兄弟のドゥルパド音楽家に弟子入りをした。それまで、横笛しか吹いたことのない自分は歌もまともに歌えないし、ヒンディー語など話せるはずもなく、師匠からはHopeless studentとして笑われてもいた。ただ、ほかの弟子の10倍努力したら何とかなるかもね、とヒントも与えられた。続く